沿革
History
昭和33年02月 | 東京都中央区築地に(株)横浜金属研究所を設立 代表取締役社長に比嘉知蔵が就任 製造及び実験工場を東京都調布市に設立 金属微粉末及び導電性塗料の製造販売を開始 |
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昭和37年12月 | 横浜金属株式会社に社名変更 |
昭和38年08月 | 神奈川県相模原市に本社工場を移転 |
昭和43年04月 | 日本鉱業(株)の原料問屋(金、銀滓等)の指定を受ける |
昭和44年12月 | 小西六写真工業(株)の銀回収受託業務のため、東京都八王子市に工場設立 |
昭和48年11月 | (株)徳力本店、(株)徳力化学研究所が株主として経営参画 資本金500万円に増資 |
昭和49年04月 | 授権資本を2,000万円に増額、払込資本を1,000万円に増資 |
昭和51年07月 | 授権資本を8,000万円に増額、払込資本を2,000万円に増資 |
昭和51年10月 | 大韓民国京畿道富川(ソウル特別市隣接)の工業団地に合弁会社裕昌金属工業(株)を設立 資本金40万ドル(当社出資49%) |
昭和53年04月 | 三菱金属(株)の原料問屋(金、銀滓等)の指定を受ける |
昭和54年09月 | (株)ロゴスを傘下に収め、商号を横浜金属商事(株) 比嘉八郎社長とする |
昭和55年05月 | 社団法人日本金地金流通協会の正会員となる |
昭和56年04月 | 使用済触媒資源化協会の会員となる |
昭和56年10月 | ロンドン金属取引所(LME)の公認ブランドに指定される(銀地金) |
昭和57年04月 | 日本乾電池工業会の賛助会員となる |
昭和57年05月 | 代表取締役会長に比嘉知蔵、代表取締役社長に比嘉八郎が就任 |
昭和58年05月 | 同和鉱業(株)の原料問屋(金、銀滓等)の指定を受ける |
昭和59年01月 | 東京商品取引所・銀地金の受渡し供用品ブランド及び指定鑑定業者となる |
平成01年05月 | 宝飾企画部門を(株)ジュエリーカンパニーヨコハマとして法人設立 |
平成02年04月 | JIS日本工業規格表示許可工場となる(銀地金) |
平成08年09月 | 代表取締役社長に比嘉成夫が就任 |
平成09年12月 | 裕昌金属工業(株)がISO9002 (貴金属化成品、銀ロー、電気接点金ターゲット材等)取得 |
平成11年07月 | 払込資本を9,500万円に増資 |
平成14年07月 | 本社工場ISO9001(2000)を取得 |
平成14年11月 | (社)日本経団連に入会。相模原市では初めてとなる |
平成15年12月 | 横浜金属商事(株)リサイクル部事業本部及び仙台事業所、秋保事業所 ISO14001を取得 |
平成16年11月 | 寧波和昌再生資源有限公司(浙江省)に資本参加(横浜金属商事) |
平成17年01月 | 対中国輸出者登録ライセンス取得(横浜金属商事) |
平成17年09月 | 神奈川事業所開設(相模原市緑区長竹713-5) |
平成20年02月 | JIS日本工業規格認証取得工場となる(銀地金) |
平成20年03月 | 県モデル工場認定表彰を受ける |
平成20年03月 | 創立50周年を迎える 中期3カ年計画「純資産10億円」を達成 |
平成21年10月 | 中部大阪商品取引所一般会員となる |
平成25年07月 | 横浜金属商事株式会社 代表取締役会長に比嘉成夫が就任 代表取締役社長に比嘉賢太郎が就任 |
平成25年12月 | 神奈川事業所移転(相模原市中央区田名3656-4) |
平成27年07月 | 横浜金属株式会社 代表取締役会長に比嘉成夫が就任 代表取締役社長に比嘉賢太郎が就任 |
平成28年09月 | 改訂ISO9001 2015年版の認証取得 |
平成30年03月 | 創立60周年を迎える 韓国にて60周年記念式典を開催 |
令和02年07月 | (株)大阪取引所 銀地金受渡供用品指定ブランド及び銀地金指定鑑定業者となる |